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LORD of VERMILION IV小説 LORD of VERMILION IV‐ O Brave New World ‐

write : 浅尾祥正

第6章

白と黒

「ちょ、待てって! そりゃ無理だろ! おかしいだろ!」

 咲山小梅がひどく慌てた様子でこめかみに汗を浮かべる。いつもの勝気な様子がすっかりなりを潜めてしまっているのもそうなのだが、普段と違うのはその見た目もだ。いつも二つにくくっている髪をまっすぐ下ろし、看護服どころか、真逆にピンクの検査着を着せられている。

「大丈夫、じっとしてて。すぐに終わらせるから」

 そう言って、指をわきわきと動かしながら傍に立つチユ、こちらはいつもの白衣姿で、下には相変わらずそれとはミスマッチな、フリルの付いたワンピースを着こみ、ショートボブの髪にはヘッドドレスまで載せている。

「あ、無理無理無理! 無理だって!」

「えい」

「あぅ……!」

 小梅が妙な吐息をもらす。

「無理……痛てっ!」

「痛くないでしょ?」

「だってよ……こういうやつは初めて……痛ってぇ!」

「………」

 チユは鼻から息を吐くと、目にかけていたグラスディスプレイを外して、手に持っていたコントローラーを置いた。

「うわっ! ちょっ! チユどこいった⁉ 死ぬ死ぬ! 痛って! 死ぬ!」

 小梅がその場でドタバタと腕を振り回しながら慌てふためいている。チユはその様子をじっと見ていたが、暫くすると小梅に近づき、そっと手を伸ばして小梅のグラスディスプレイを外した。

「あ……」

 突然切り替わった視界に唖然とする小梅。その視界にチユが顔を覗かせて、ヴァーチャルリアリティから現実世界に引き戻すように手を振る。

「コウメ、ゲーム苦手?」

「だっから言ったろ? あたしはこういう機械っぽいのダメなんだって!」

 小梅は握っていたコントローラーを放り投げ、さも安心したとばかりにその場にへたりこんだ。

「ふーん」

 チユはそれを拾って、壁際に置かれたカラーボックスの引き出しに丁寧にしまうと、別の引き出しを開け、今度はマイクロプロジェクターを取り出した。

「それじゃ、アニメ見る?」

「別にいいや、あたしそういうのもわかんねぇから」

 小梅が足を投げ出したままぱたぱたと手を振って断ると、チユは、

「うーん、じゃあ次はどうしよっかな……」

 とカラーボックスの中を漁り始めた。

 小梅はそんなチユの様子を眺めながら、

(なんか、ヘンテコな奴だな)

 と改めて思った。


 二度目の共鳴時、神名千尋らと共に舞浜にいた小梅は、突如巨大な竜に乗って現れたチユに捕まり、無理やりこの研究所に連れてこられた。にもかかわらず、小梅に焦りや怒りは見えない。それどころか、まるで実家にいるような落ち着きを見せている。

 それもそうだろう――なぜなら小梅は、ここAVAL科学財団研究所で生まれた「人造人間」なのだから。

 この研究所では自然科学におけるあらゆる分野の研究が行われているのだが、小梅はそのうちの一つ、「アルカナ因子研究」により造られた実験体だった。

 二〇〇三年のヒトゲノム解析完了に伴い発見された「アルカナ因子」――これを人の進化因子と目したAVALの研究者たちは、この発見を秘匿、研究し、独占的に人類進化のメカニズムを手にしようとしたのである。

 その為にとられた方法は二つ。一つは〝後天付与〟――子供の体にアルカナ因子を投与することで、強制的に細胞の進化を促した。この実験に用いられた検体は『KRANKEクランケ』と呼ばれ、財団系列の保護施設から検体を入手しやすかったことから、実験初期の主流となった。しかし試行体数に対し、はっきりとした効果を発現する個体が少なく、この手法は次第に尻すぼみになっていった。そうして取られたもうひとつの方法が〝先天付与〟であり、アルカナ因子を注入した卵子を、さらに同因子を含有する培養液の中で受精、培養させることで、生まれながらにアルカナ因子を大量に保有する人間を造り出そうとしたのである。当初この方法はまったく上手くいかず、人体としての形を成す前に細胞が崩壊してしまうなど失敗続きであったが、ついに完成した検体――『CHILDチャイルド』は、全個体が、その知能、身体能力ともに『進化人類』と言って憚らない能力を発現した。そうして実験は先天付与を軸とする流れに移っていったのだが、結局こちらにも、生理的に様々な欠陥を抱えるなどの問題が多発し、またその莫大な生成費用も起因して、七体の〝オリジナル〟を最後に新規生成は凍結、その後はそれらを元にしたクローニングにより実験が継続されてくことになったのだった。

 その『CHILD』クローンの一人こそが、小梅であった。


 小梅は「うーん」と伸びをして立ち上がると、

「それよかさぁ、実験ってこんなんでいいのか? もっと疲れるのとか、痛いのとかさ、そういうんじゃねぇの?」

 そう言いながら壁際のソファーまで移動して腰を下ろした。

 それにチユは、

「これでいいの」

 とだけ答えると、結局次の〝実験器具〟が見つからなかったようで、近くにあるジュースサーバーからカップに飲み物を注ぎ、「はいこれ」と小梅に手渡す。

 小梅は「お、ありがとな」と素直にそれを受け取って口にしたが、

「……うわ、まじぃなコレ! 炭酸抜け過ぎの甘みが強すぎだぞ!」

 と、盛大に顔をしかめた。

 するとチユがその顔をじぃっと見つめたので、小梅は拳を突き出して、

「な、なんだよ。やんのか? まじぃもんはまじぃんだ!」

 と、牽制してみたのだが、

「うん、やっぱりコウメはすごいね。他のクローン体とは全然違う」

 とだけ言って、すぐにタブレットに視線を戻し、何かを打ち込み始めてしまう。

 その言葉が何か引っかかったか、小梅は眉根を寄せてチユに訊ねた。

「その〝クローン体〟ってのだけどさ、マジでお前が〝オリジナル〟なの?」

「そうだよ。完璧だったのはチユだけだから、他のオリジナルはほとんど処理されちゃったの」

「へぇー、初めて見たわ。んじゃお前があたしのお母さんってわけだ」

 チユはその一言に、今度は目を丸くして小梅を見つめた。

「だっから、なんなんだってそれ!」

「うんうん、ほんとコウメはすごい」

 そして満足気にうなずくと、さらにタブレットに入力する。

 小梅は黙ってその様を見ていたが、暫くすると仄かにモジモジとしだして、

「……んじゃ一応聞いといてやるよ。あたしの……その、何がそんなにすごいんだ?」

「感情がある」

「あ?」

 それは、人ならばあたりまえのことなのだが――、

「……ああ、なるほどなー」

 小梅はその答えにさも納得したようにすると、ソファーの背に深くもたれた。

「あたしさ、他の『CHILD』見たのってちっせーときだけで、それ以来一度も会ったことねぇんだけど、他のやつらってそんなに駄目なのか?」

「そうだね――」

 チユはタブレットで何やら検索すると、

「感情不全や味覚不全だけで済んでるのは全然いい方。検体によっては形が崩れちゃってまったく機能しない子もたくさんいたみたい。全体に共通しているのは〝意思の欠如〟かな。言われたことはやるけど、自分から進んで何かをしようとはしないの」

「あー、それなー」

 言われて小梅は我が身を振り返り、確かに自分にもその傾向があるな、と思った。

 子供の頃は何を食べても味がしなかったし、特に感情らしい感情もなかったと思う。人らしい意志もなく、ただ言われるがままに実験を繰り返していたはずだ。その傾向は長じた今も少し残っていて、前の〝担当〟がいなくなり、新担当の赤谷犬樹が「〝外〟に出るぞ」と言ったときも、久しぶりで嬉しいと思っただけで、何の疑いもなく付いていった。

 しかし今思えば、あれは不正規の実験だったのかもしれない。犬樹は小梅の生理現象調査だけでなく、変異体の血液サンプルや生態データを集めて何か独自の研究をしているようだったし、そもそも人造人間が〝人の社会に溶け込んで働く〟などという実験は聞いたことがなかった。それでも〝外〟に出る前は所内でしっかり研修などもやらされたので、当時は「結構な権限を持ってるやつなんだな」くらいにしか思っていなかった。しかしあれもまた、犬樹が何かしらデータを改ざんして行っていただけなのかもしれない。

 何にせよ、小梅にとってそれらはすべてどうでもよく、仕事も楽しかったし、病院の特上定食が美味しかったので、それで充分だった。

 しかし、その犬樹もいなくなり、誰も指示をくれなくなった。その結果、行く当ても、やることもなくなり、仕方がないので流れに任せて神名千尋たちと行動を共にした。ところが、戦いやら東京を守るやら、正直興味が湧くようなことは何もなく、誰も指示をしてくれなかったので、結局何をすればいいのかわからなかった。なので小梅は、こうしてチユに連れ帰ってもらい、

(まぁ、助かったといえば助かったよな)

 などと思っていた。

 そんなことを考えていたら、またもやチユが小梅をじっと観察しながらタブレットに何かを入力していた。見えないところで観察する普通の研究者と違って、目の前でじろじろと見られるこの感じがどうも苦手であり、今のところはこれが唯一の不満点だったのだが、こう褒められ続けると、それはそれで――。

「――そんなに、あたしってすごいのか?」

「すごいよ」

 お腹の下がむずむずと疼く。

「そっかぁ、そんなに褒められっと嬉しいな。そもそもあたし〝失敗作〟って言われてたし、じーちゃん以外にはあんま褒められたことなかったしな」

「じーちゃん?」

「そ、じーちゃん。じーちゃんもチユみたいに『感情表現がすごい!』ってよく褒めてくれたんだ。いっぱい怒られたりもしたけどな。元々はさ、感情とかそんなでもなかったんだよ。けど、じーちゃんがいろいろ教えてくれたんだ」

 チユが怪訝な表情で何かを検索する。そしてその結果に、

「――ああ、〝咲山悟朗〟博士ね」

 と、至極納得したような顔をした。

「そうそう、そいつ!」

 久しぶりにその名前を聞き、小梅は〝ごわごわした髭〟の感触を思い出した。

 意思もなく、感情も薄弱だった小梅が変わったのは、その男のお陰だった。


 咲山悟朗に出会ったのは、まだ彼女に名が無い頃だった。新しい〝担当〟として紹介されたその日に、いきなりどやしつけられたのをよく覚えている。

 あとでわかったのだが、それは「ちゃんと挨拶ができなかったから」らしい。悟朗は「人として大切なことは――」と言葉の枕につけるのが口癖で、「人らしくない」ことをすると、とんでもなく怒られた。

 そんなことで怒る担当は今まで一人もいなかったし、そんな実験などしたこともなかったので、初めはすごく戸惑い――そして、自分が〝戸惑っている〟ことに驚いた。

 なんだかとても不思議な感覚だった。胸のあたりがもにゅもにゅとして、気分が悪くなった。なので悟朗を見ると逃げ回っていたのだが、ある日、そうして部屋の隅で膝を抱えていると、悟朗が目の前でしゃがみこみ、

「それが、〝嫌だ〟という感情だ」

 と、珍しく、優しく頭を撫でてくれた。

 それが何だか妙に気持ちよく、以来、小梅は怒られようが何をされようが、悟朗が言うこと、することにいちいち興味を持つようになり、実験以外でもあとをくっついて回るようになった。

 そんなある日、悟朗が突然「外に出たいか?」と訊ねてきた。併せて、「嫌ならそう言え」とも。

 なんのことかはわからなかった。新しい実験かな、と思っただけで、特に嫌とかもなかったので「行きたい」と答えた。

 そうして行った〝外〟はすごかった。

 周りに白い壁はなく、家の壁は木でできていて、空と土の地面がどこまでも広がっていた。

 初めに、悟朗は彼女に名前を付けた。これは〝外〟では必要なものらしく、「人として大切なこと」の一つだと言われた。何にせよ、彼女はその『小梅』という響きをいたく気に入った。

 その後も悟朗は様々なことを教えてくれた。食事の作り方、掃除の仕方、遊び方――この「遊ぶ」ということを悟朗は特に熱心に教え、そうして初めて「楽しい」ができるようになったとき、やけに興奮してごわごわとした髭を顔にこすりつけられた。

 この「楽しい」は、悟朗曰く「人として一番大切」なものらしい。

 以来、悟朗は「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」、「お手玉」など、次々と新しい遊びを教えてくれたので、小梅は楽しくなってよく笑い、小梅が笑うと悟朗も笑うので、それがまた楽しかった。

 悟朗が教えてくれたことは小梅の奥底に深く刻まれており、今でもはっきりその全てを思い出すことができる。〝外〟から研究所に戻ることになったときに、悟朗は「もっといろいろ教えたかった」と言っていたのだが、小梅は「ああ、そうしたかったなぁ」と今でも思い返すことがあった。


「あー、懐かしいなぁ、じーちゃん」

 小梅が昔を思い返している間も、チユはタブレットの検索を続けていたが、その指が急に止まった。

「――咲山博士はその後、〝処理〟されてるんだね」

「ああ、迎えに来た『財団』の奴らが〝器物の横領〟とかなんとか言って連れてったな。そんときあたしも回収されたんだ」

「悲しくなかったの?」

「ああ、あたしそういうのはわかんねぇから」

「そっか」

 チユは表情無くもう一度タブレットに目を落とす。しかし今度は、小梅がチユを興味深げに見つめ、

「お前はそれわかんのか? 〝完成品〟なんだろ?」

 と訊いた。

「わかるよ。チユは完璧だもん」

「そのわりにゃ、お前もリアクションうっすいけどな」

「そうだね。アウトプットがうまくないの。だからコウメが少し羨ましい」

 それを聞いた小梅は、

「あははは! だろう? よーしそれじゃこの小梅さんが、これから感情表現ってやつを教えてやっから、しっかり勉強しろ! あたしもかるーく悲しいとかマスターして、完璧に近づいちまおうかなぁ!」

 そう気分よさげに立ち上がって笑い上げた、そのとき、

「ちょっと、あなたたちいい加減にしなさいよ! チユ、大きな声出させないでって言ったでしょ? これバレたら私が面倒くさいことになるんだから!」

 と、扉を開けて女が部屋に入ってきた。

 この施設の研究者だろうか。チユと同じ白衣を着て眼鏡をかけているのだが、まとめずにばさりと垂らしたブロンドの髪と、大きく開いたシャツの胸元がやけに艶めかしい。

「もう終わったよ」

「だったらとっと移送の準備してよ。この子早く部屋に戻さなきゃなんだから」

 女は扉の横に設置された、部屋の外が映し出されたモニターをしきりに気にしている。そんな彼女を見て、小梅は、

「誰だ、そいつ?」

 と訊ねた。

「エミリアだよ。ここの研究員だった・・・んだけど、『トランスレーター』なの」

 チユの言葉に女がぎくりと肩を揺らした。

「トランス――なんだ? 〝翻訳家〟だっけか?」

「ううん。『クリーチャー』が精神を乗っ取ってる希少検体のこと。ホントは〝ミリア〟っていう――」

「ちょっ……言わないでよ‼ それあなたにしかバレてないんだから‼」

「だからそれをネタにゆすって、いろいろと協力してもらってる」

「へぇー」

 手をバタつかせて慌てるエミリアをよそに、小梅は興味なさそうにカップに口をつけ、「やっぱまじぃな」と呟いた。

「それとその『クリーチャー』っていうのやめてくれない? 前も言ったけど『使い魔』って呼んでほしいんだけど――」

 そしてエミリアがよくわからない抗議を始めたのだが、

《ミリアー、なんかいっぱい来たよー》

 と、空気の振動とは違う不思議な声が部屋に響き、その口を閉ざした。

「何かあった?」

「ああ、グラマン会長があなたをさがしてるのよ。定期検査か何かでしょうけど……とにかく、〝チルル〟が見張ってる間にこの子部屋に戻すわよ! チユも準備手伝って!」

 エミリアはそう言ってそそくさと部屋を出ていく。チユは顎に手を当て少し考えるような仕草をしたが、「仕方ないか」と言って振り向くと、

「じゃあね、コウメ・・・ちゃん・・・

ちゃん・・・? なんだそれ?」

「そう呼ぶことにしたの」

 微笑んでいるのか、そうでないのか相変わらずわかりにくい表情で小梅に手を振った。

 それに小梅は、

「へいへい、好きにしてくれ」

 と、ソファーにもたれてカップをゆらゆらと揺らしながらも、

「あ――これ〝ごちそうさまでした〟」

 最後のお礼だけは馬鹿丁寧に頭を下げた。


 チユが扉を開けて廊下に出ると、先程とは打って変わって神妙な顔をしたエミリアが、腕を組んで壁にもたれていた。

「どうだった?」

「うん。感情面はやっぱり変わってる。未完成だけど、あんなの見たことない」

「〝クローン世代〟なんでしょ? そうは見えないけど……あの子のことは、私も妙に気になるのよね……」

「そっちは?」

 するとエミリアがポケットから端末を取り出し、チユのタブレットにデータを転送する。タブレットのディスプレイには、小梅のカルテらしきデータが表示されていた。チユはそれを軽く流し読みしてみたが、途中でスクロールする指が止まる。

「……あと、二年くらいね」

 静かな声で、エミリアが言った。

 チユの指は、『予測寿命』の項目で止まっていた。

「そっか――」

 チユはタブレットのディスプレイを消すと、

「悲しいな」

 そう、小さく呟いた。


    * * * *


「どうだい? 美味いかな?」

 ママはいつもチユに美味しいものを作ってくれる。だからチユは一生懸命美味しそうにそれを食べる。

「あはは、チユちゃん、そんなに慌てて食べたらすーぐ無くなっちゃうぞ!」

「……無くなっちゃう?」

「ああ……ごめん、無くなったらまた作ってあげる――つってもあたし、このチェリーパイしか作れないんだけど……」

「美味しいからこれでいい」

「はは、〝美味しい〟か! すごいなぁチユちゃんは」

 ママはいつも褒めてくれる。だからチユもママを褒める。

「ママ、今日も〝それ〟きれい」

「はは、ありがとな。チユちゃんがそうやって褒めてくれるから、あたしも〝これ〟がすっかりお気に入りになっちゃったよ」

 ママはパーティーのときにチユが褒めたドレスをいつも着てくれる。それにママはとてもきれいで、髪が長くて、二つに結んでる。チユも同じ髪型にしたかったけど、チユの髪は長くなくて同じにできない。チユがそれを悲しんでたら、ママはチユにもドレスを買ってきてくれた。

「チユちゃんもそれ、良く似合ってるよ。お姫様みたいだ」

 ママと同じドレス。嬉しかったけど、ママのドレスは黒くてまっすぐで、チユのドレスは白っぽくでひらひらしてた。チユもママと同じドレスが良かったけれど、

「あははは、あたしもそれ着たいけど、もう大人だから厳しいかなぁ。チユちゃんが羨ましいよ!」

 と言って笑った。

 ママはいつも大きな口を開けて笑う。チユはママの笑顔が大好きだ。

「チユも上手に笑いたい」

 ママみたいに笑いたい。

「いいんだよ。チユちゃんはそのままで」

「ママみたいに笑えるように作り直して」

 ママはこういうことを言うと、

「無理することはないよ。そう感じる心があるだけで十分なんだ」

 いつも決まって困った笑い顔になる。だからときどき不安になって訊いてしまう。

「どうしてママはチユを作ってくれたの?」

「んー」

 ママはやっぱり困った笑い顔になって、

「会いたい人がいるんだ」

「それって誰?」

 ママはもっと困った笑い顔になって、

「それは、もうちょっと、あたしに勇気が出たら教えるね」

「〝ゆうき〟?」

「そ、勇気。前に進もうとする強い気持ち。それが無くて、あたしはこの研究を続けてる」

「ママはその人が好きなの?」

「うん、好きだよ。でもね、あたしはいいママじゃなかったから、はは、向こうはもう好きじゃないかもしれないな。でも頑張ってれば、きっとお星さまが願いを叶えてくれるかなって」

「チユはママが好き」

「私もチユちゃん大好きだよ」

「パパも好き」

「あはは、それ聞いたら、あんな人でも笑顔になっちゃうかもね。今度言ってごらんよ」

 だから――

「だから、その人には会わなくてもだいじょうぶだよ」

「そうだね、でも――」

 ママは、チユがそう言ったときだけは、いつも笑ってくれなくて――とても、悲しそうで――。


『――チユ?』

 コクーンの内部スピーカー越しに低い声が聞こえる。

「パパ?」

 聞こえるのは、白木・A・グラマンの声だ。

(ああ、寝ちゃってたか)

 そこは生体検査用のスキャンカプセルの中で、チユは検査のためにそこに寝かされていた。AVAL科学財団会長のグラマンは、自身もまた遺伝学の権威であり、不定期ではあるものの、こうして直接『CHILD』であるチユの定期検査を確認することがあった。

『少し高周波が出ていた。夢をみていたのかな?』

「うん、見たよ。ママの夢」

 チユがそう答えると、グラマンは少し遅れて、

「そうか」

 と答えた。

 チユが「ママ」の夢を見たのは久しぶりだった。以前はしょっちゅう見ていたのだが、ここ最近は〝異世界の夢〟ばかりだったので嬉しかった。おそらく、さっきまで話していた咲山小梅の影響なのだろう。彼女は小梅のように大きな口を開けて笑う人だったので、それを見て、無意識に影響を受けたのかもしれない。

『他の数値は全て標準値だ。よく自己管理できているね』

「うん、チユは完璧だもん」

『そうか、頼もしいな』

 返すグラマンの声は穏やかで、とても温かい。

 今のようにたいてい言葉が短いので、多くの人は気づかないのだが、グラマンは話す人によって声の調子が変わる。それに気づくのは、チユと、あともう一人ぐらいだろう。以前はもっと多くの人と今のような声で話していたが、最近はめっきり聞かなくなった。

 それはきっと、あの頃からだろう。

「ねぇパパ、ママには会えそう?」

 チユはもう長いこと、「ママ」には会っていない。彼女は、ある日突然会いに来てくれなくなってしまった。訊いても、その理由をグラマンは教えてくれなかったので、きっと訊いてはいけないことなのだろうと思った。なので、今のように訊くことにしていた。

『君は〝ツァディ〟、特別なんだ。星は願いを叶えてくれる』

 この質問に、グラマンは決まっていつも同じように答えた。

「うん。ママもそう言ってた」

 チユもまた、決まってそう返す。これを繰り返している内に、いつの間にかそれは、二人だけのルーティンのようになってしまっていた。

『だから心配しないで、しっかり検査に集中しなさい。結果にノイズが入るのはいやだろう?』

「うん」

 しかし、さっきの夢のせいか、今日はさらに付け加えた。

「パパもママに会いたい?」

 グラマンはまた少し遅れて、

『ああ、そうだね』

「会えるよね?」

『ああ――三月みつき君も、きっとそう望んでいるよ』

 そう答え、

『――失礼します』

 そこで、スピーカの向こうに、新たな声が聞こえた。物静かで落ち着いた雰囲気の割に、奥に怯えた感じを滲ませるこの声を、チユはよく知っていた。

(……ユーリだ。珍しいな)

 グラマンの娘である白木優羽莉が、直接何かを報せに来たらしい。いつもなら、グラマンがチユを診ているときは決して入ってこないのに――。

 チユはコクーン内から外部の収音マイクをロックし、耳を傾けた。

『お父さん、あの方がいらしてます』

『ああ、すぐ行く』

 そう短く返すグラマンの声は穏やかで――とても冷たかった。

 その声の調子を優羽莉は敏感に悟ったようで、スピーカー越しにも彼女の緊張が伝わってきた。

『あの……龍道での件ですが……』

『聞いているよ。すぐに行く。部屋で待機していなさい』

 やはりグラマンの返答は短く、冷たい。

『……わかりました』

 優羽莉はせっかく切り出した言葉を引っ込め、出て行ってしまった。

(ユーリ、また悲しそうな顔してるのかな)

 そしてチユは、そっと収音マイクのロックを外し、目を閉じた。


    * * * *


 白木・A・グラマンが会長室に戻ると、広い室内にワンセットだけ置かれたアンティークソファーのシルエットが変わっていた。

 クラシックデザインの優美な背もたれの曲線から、ぼこりと二本の角が生えている。よく見ると、どうやらそれは背もたれに乗せられた人の足のようで、その証拠に足の間から、その持ち主の顔がぬっと覗いた。

「よぉ大将、また人形遊びか? 娘の前でよくやんな」

 フードを被ったその男は、ひっひっひと頭を揺らして下卑た笑いをこぼす。

「また見て・・いたのか。品がないぞ、〝バン・ドレイル〟君」

 そう呼ばれた男は、「よっ」と器用にソファーの上で背面にでんぐり返ると、改めて正しく腰を掛け直し、

「いやいや、現場監督は大変なのよ、たまに悪さするヤツがいっからな」

 と、フードの中からグラマンに鋭い視線を飛ばす。

 グラマンは特にそれに反応することなく、テーブルを挟んでバン・ドレイルの正面に腰を下ろした。オーダーメイドと思われる形のいいグレーのスーツと綺麗に撫でつけられた銀髪が、アンティークソファーに良く映える。ただ、立場ある壮年の男性にしては、やけにチープなプラスチックフレームの腕時計と、右手にだけはめた革手袋が、その完璧な絵に微妙な違和感を残した。

「どうやら龍道では、あの子が粗相をしたようで申し訳なかったね」

「ホントだぜ。いってぇどういう教育してやがんだか……おかげで大事なオレが一人死んじまったじゃねぇかよ。アレ・・も二個取られちまうしよぉ」

 バン・ドレイルは、言いっぱなテーブルに足を乗せて毒づくが、やはりグラマンはまるで気にすることなく、膝の上で組んだ手に顎を当て、淡々とした視線を送る。

「あの子も〝血晶〟になる覚悟はできているはずなんだがね、まだ、人として迷いがあったかな」

「おめぇはよ、もう少し人としてそれっぽい心ってのがあった方がいいんじゃねぇか? 何考えてっかマジわかりにくくてしゃあないぜ」

 そう言うとバン・ドレイルは、足をテーブルから下ろして身を乗り出し、

「んで、今日はなんだよ。詫びでもしてくれんのか?」

「予想外の被害はお互い様だと思うがね――」

 逆にグラマンは上体を引いてソファーにもたれかかり、

「ビジネスの話だ」

 と言った。

「あっそ」

 バン・ドレイルはつまらなそうに、態度悪く浅く腰を掛け直すと、顎をしゃくって話の続きを促す。

「俺の知るところで、現在血晶となった者は、赤谷犬樹、葵順、水上晴の三名。そして把握している他の『英血の器』は八名――神名千尋に道明寺虎鉄、咲山小梅、フリールポライターの柿原一心、日々河の学生、原吹晶――チユ、カーク、優羽莉は言わずもがなだな。怪しいところだと、鎮護国禍の黒髪マリエと真鶴椿は、そうなのではないかと踏んでいる」

「すげぇすげぇ、よくソラですらすら言えんなぁ」

 真面目に聞いているのか、バン・ドレイルが手を叩いてはやし立てる。

「しかし『賢者の石』は〝樹系図〟に、さらに三人の血晶化を示していた」

「あ、そうなの? へー。その〝樹系図〟っての見せてくんねーしー、ホントなの? それ」

「――当然、君は知っているのだろうけどね」

 グラマンは足を組み、バン・ドレイルをまっすぐ見据えて言った。

「そこで、『英血の器』残り全員の名と、十三名のうち誰が血晶となったのか、情報を提供してもらいたい」

 その要望に、

「え~~」

 バン・ドレイルは露骨に嫌そうな表情を浮かべた。しかし、

「まぁ、確かに全部知ってるわな――」

 そう言いながらパーカーのポケットをまさぐると、「その内一個はここにあるしよ」と手に血晶片をつまみ、ちらつかせた。

 そして、

「お断りいたしますぅ」

 嘲るように舌を出した。

「そちらのオーダーは〝十六人の『英血の器』を抹殺する〟だったはずだが?」

「んで、そっちはオレらの持つ〝アルカナの知識の提供〟な」

 バン・ドレイルは「はぁ~」と大きくため息を吐くと、テーブルに手をついて身を乗り出し、

「どこで知ったか知らねぇが、〝《器》をやる〟たぁ言ってねぇだろ?」

 と、下からグラマンをねめつけた。

「――ああ、その血晶は《器》というのか。紛らわしいな」

 グラマンは足を組んだまま微動だにせず、バン・ドレイルを冷たく見下ろす。

「とぼけちゃってもかわいくねぇぜ、おっさん。わかってんだよ、テメェ、咲山っての一個パクった・・・・ろ?」

のぞき・・・は品がないと言ったがな、バン・ドレイル君」

 広い会長室に緊張が充満していく。

 二人はそのまま暫く睨み合っていたが、

「わーかった。んじゃ教えてやってもいいけどよ」

 バン・ドレイルは、ここに今すぐ乗せろ、とでも言うように片手を広げた。

「とりあえずテメェが抱えてる四人、全員分の《器》をもらおうか」

「ふむ――」

 グラマンは立ち上がり、

「なるほど、決裂だな――優羽莉、入りなさい」

 そう言うと同時に、勢いよく扉が開いた。見ると、そこに血晶を纏った優羽莉が右手を突き出して立っていた。

「ほーらこれだよ、人間っ――」

 言い終わるより早く、バン・ドレイルの背後に血晶体が浮かび上がる。そして、

「――このときを待っていたよ。お前に近づくにはここ・・が一番だからな」

 その喉元に、紅い爪が突きつけられた。

「誰ちゃんだっけ、おたく。このソファー高いんだろ? オレのちびりで汚れちまうぜ?」

 爪の主である、長い白髪を後ろに束ねた執事服の青年は、何かバン・ドレイルに強い恨みがあるのか、切れ長の細い目を見開いて歪んだ笑みを浮かべる。

「しゃべれるうちに聞いてやる――〝〟をどうした?」

「どうもしねぇよ。男の子はああやって強くなってゆくのです。ほっといてやれよ――お兄ちゃん」

「いい度胸だ」

 青年の指に力が入る――。

「待ちなさい、〝狩魔かま〟君」

 グラマンが口を挟んだ。

「一度だけ聞こう――気は?」

「変わるわけないでしょ? いやはや、全部・・に仕込み入れてこのザマかよ。ま、残ったあいつ・・・が一番素直でいいけどな」

「それでは手を切らせてもらう――『教会』の技術は充分役に立ったよ」

「ほい、さよーなら」

 バン・ドレイルがそう吐きすてると共に爪が真横に赤い線を描き、そのにやついた笑顔が胴から離れて落ちる。床を転がるその頭は、目線を狩魔威にぴたりと合わせて止まると、「無駄なことを」と嘲けるように目を笑わせながら黒く崩れていった。

「――魔威太を取り戻すまで、何度でも殺してやるさ」

 その跡を睨みつけながら、狩魔威が歯を軋ませた。

 一方、少し遅れて崩れ去るバン・ドレイルの体を複雑な表情で見つめていた優羽莉は、グラマンの方を向くと、何かを伝えようと口を開いたが、

「――勘違いしてはいけない、優羽莉」

 彼は優羽莉に冷たく背を向け、

「君はそれでも『器』になる。それは、必要なことなんだ」

「……はい」

 扉に向かって歩き出す。そして部屋を出ようとする直前、何かを思い出したように足を止めると、

「それと、チユが連れてきたクローン体だがね、あれは良く出来ている。確か処理済みと記録されていたと思ったが……赤谷犬樹というのは、なかなか優秀な人材だったようだな。そこでだが――」

 心を感じない声で言った。

「仮定には実証が必要だ――まずは、あれを『賢者の石』にくべよう・・・・と思う。一週間ほどかかる。それまでに準備をしておいてくれ」

「でもあの子はチユの――」

 何か思うところがあったか、優羽莉が思わず言葉を返した。

 だが、グラマンはいつものようにただ短く、

「いいね」と。

 そして優羽莉もいつものように、

「はい――お父さん」と。

 しかし、そのときの優羽莉の手は、いつもと違い、指が白くなる程にきつく、きつく握られていた。