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LORD of VERMILION IV小説 LORD of VERMILION IV‐ O Brave New World ‐

write : 浅尾祥正

第3章

昏惑に、光を

 白木優羽莉は言った。

「それでも、私たちはいつか消えなきゃならないわ」

 神名千尋は返した。

「僕は誰かの意志で消されるなんてごめんだ。たとえ世界のためでもね。けど――」


「あぁ~でもよぉ、オメェらにはそうなってもらわねぇと困るんだわ」


 瓦礫の壁を越えた先――暗い龍道の奥に、突然人の形ができていた。

 そこには、確かにさっきまで闇しかなったのに。

 優羽莉と千尋が見つめる中、それはわざとそうしているのか、ズリズリと砂利の擦れる音を立てながら近づいてくる。

 千尋はその男を覚えていた。

 目深に被ったフードの奥に覗く、奇妙な文様の刻まれた顔――間違いなく、赤谷犬樹と葵順の死闘後に現れ、その〝成れの果て〟である結晶を持ち去った、あの男だった。

 警戒する二人の視線を真正面に受けながらも、構わず楽し気に上体を揺らして歩く男の足はまったく止まる様子がない。

 千尋は手のひらに血晶をイメージしながら身構える――と、傍らに立つ優羽莉が一歩前に出て男に言った。

「何をしに来たの――ドレイルさん」

 すると男は立ち止まり、呆れたように腰に手を当てて首を傾け、

「あー、その呼び方やめてくれる? それって俺の名前じゃねぇのよ。『バン』な。それを忘れちゃいけねぇんだわ」

 そう、びしっと二人に中指を向けて、やけに恰好をつけたポーズを決めてみせた。

「知ってるの?」

「ええ……」

 千尋の問いに優羽莉は少し口籠ったが、

「『財団』が協力を仰ぐ『教会』の使徒、つまり――〝混沌の使者〟よ」

 そう言った。

 千尋は目を見張った。

 『混沌』――全てを喰らい、絶対の無をもたらす虚無の化身。共鳴した記憶の彼方、紅蓮の運命に連なる者たちと数多の死闘を繰り返してきたあらゆる〝存在〟の敵対者――そして今、この世界を守ると嘯き、千尋たち『英血の器』を滅ぼさんとする者――。

 しかしドゥクスの話だと、『混沌』は物質世界では形を成せないはずだった。実際、〝今のところ〟なのかもしれないが、千尋の共鳴した記憶にもその〝姿〟は見受けられない。それなのに、目の前のそれはしっかり人の形を成していた。だとしたら、〝使徒〟とは『混沌』そのものではないということなのだろうか――。

「もう一度聞くわ。何をしに来たの?」

 さらに問う優羽莉に、

「名前、呼び直してくれないのね……何を、何をかぁ……」

 バン・ドレイルは盛大に嘆息してがっくり頭を垂れると、フードの奥から恨めし気に二人を見上げて、

「お前らの《器》を、もらいに?」

 そう、笑った。

 優羽莉がごくりと唾を飲んで体を固くし、その後ろで千尋が手から血晶の剣を作り出す。しかし、先の不敵さはどこへ行ったのか、それを見たバン・ドレイルはすぐに両手を前に突き出して、

「ぅおーい、そう怖い顔すんなって! オレぁ臆病なんだ。このかっちょいい見た目でビビってションベン漏らしちゃったら可哀そうだろ? ま、オレってションベンとか出ねぇんだけどさぁ」

 とおどけたように腰を引いてみせる。すぐに襲い掛かってこないのならば、話し合う余地があるということだろうか、優羽莉は小さく手を握り再び口を開いた。

「《器》なら……私が持ち帰るわ」

「ぶっは! 馬鹿言ってんじゃねぇよ!」

 バン・ドレイルが声を上げて笑い、ちらりと千尋を見る。

「何なのそいつ? ユーリぃ、そのざまでそんなこと言っちゃう? 確かお前らって殺し合う設定じゃなかった?」

「あなたこそ、全てお父さんに任せるはずでしょう?」

「いやぁ、そうだったんだけどよ、オメェの親父、見るからに怪しい動きしてんだろ? しかもそれをまったく隠す気もねぇみてぇだし。せっかく『アルカナ』のこと色々教えてやったってのになぁ……。それに、ちょーっと最近『器』どもの成長が著しいからよ、集めにくくなる前に、ここらでまとめて回収しとこうと――あれ? この台詞前にどっかで言った?」

 バン・ドレイルは一人派手な身振りで話しながら、二人の前を行ったり来たりと歩き回る。

「お父さんが何を考えていたとしても、命じられたことはやる。私も――最後にはちゃんと消滅するわ」

「はっ! 信用ならねぇな。ほら、お前ら人間って友情とか愛とか憎しみとかですーぐ変わっちゃうじゃん? オレそういうの飽き飽きなんだよねー」

 そう話す間に、千尋が剣を下段に構えつつ静かにバン・ドレイルの死角に回り込むと、

「――お、なんだよ青年くん、見かけ爽やかなのに汚ねぇな」

 ぐんと肩越しに首だけ傾けて千尋を見た。しかし、千尋も怯まない。

「あんたさ、その〝器〟っていうの集めてどうするの?」

「ああ? なーんで教えてもらえると思うかねぇ……」

 バン・ドレイルは口をへの字に曲げつつ体を千尋の方に向け、中指で千尋の眉間を指さした。

「テメェはあの〝仮面の女王様〟と一緒にいたんだ。聞いてんだろ? オレらは天敵な『紅蓮の王』が誕生しねぇようにしたいの。その為に使うに決まってんだろうが」

「……見逃して、もらえないかな」

「もらえるわけないよね⁉ 全滅っつってんだからよぉ。それにどこに逃げても無駄だぜ?」 

 そう言って空中に手を伸ばしてまさぐると、虚空から魔導書グリモアを取り出し、さらにそれを開いて手を突っ込んだ。

「お仲間が、こうしてどこにいるか教えてくれっからなぁ」

 そして、中から二つの血晶を取り出した。バン・ドレイルの手の中で鈍く明滅を繰り返すそれは、赤谷犬樹と葵順の《器》だった。

「おら、こいつらも寂しそうだからよぉ、早く仲間になってやれよ」

「………っ!」

 カチャカチャと手の中で弄ばれる血晶から、優羽莉が眉をひそめて目を逸らす。

「ユウちゃん、こいつが言ってることが本当なら逃げても追ってくる。ここでやるしかないよ」

 意を決したか、千尋は左足を撞木しゅもくに引きつつ剣を正眼に構え、正面にバン・ドレイルを捉えた。

「だっからそういうの向けんなって! テメェらだってアルカナ殆ど尽きてんだろ⁉」

 バン・ドレイルはグリモアを盾にするように前に突き出して、向けられた切っ先から目を背ける。しかし千尋はそれを隙と断じ、ザンと右足を鳴らして一気に踏み込んだ。

「あ、でも思い出したんだけどさぁ――」

 その瞬間、突き出されたグリモアの上に魔法陣が浮かび上がり眩い光を放つ。同時に放たれたものは光弾か――顔面に迫るそれを、千尋は目をすぼめつつも真っ直ぐ突き割り、そのまま剣先をぶらすことなくバン・ドレイルの喉元へと伸ばす――。

「オレ、弱い奴・・・にはめっぽう強いんだよね」

「千尋君!」

 後ろから激しい衝撃を受け、千尋は前につんのめり石床に体をこすりつけた。

「ぅぐうっ‼」

 見ると、右肩から肩甲骨にかけて大きく背中がえぐれていた。光弾は千尋の前後に二つ放たれていたのだ。

 バン・ドレイルは倒れた千尋の前にしゃがみ込むと、その頭に右手を当てる。

「はい、《器》くん三個目げっとー」

 腕が光に包まれ――なぜか、その手がすっと後ろに引かれて、バン・ドレイルが上体を逸らして跳びすさった。それと同時に空いた空間を数本の紅い針が貫く。バン・ドレイルはすぐに針の飛んできた方を振り向くと、優羽莉が――共鳴の痛みに顔を歪めつつ、周囲に血晶の針を浮かばせていた。

「あれ、こいつ助けちゃうの? どういうつもりだよ」

「言ったでしょ……指示を受けたのは私よ。《器》は、私が持ち帰るわ」

「いやだからさぁ、ユーリ、オメェもここで《器》になんだよ」

 と、苛立たし気にフードの上から頭を掻いたそのとき、

「セルディッド!」

 千尋が肩を震わせて腕を突き出した――が、その手の先には何も現れない。

「あー出ない出ない、使い魔出ないよー。テメェらのアルカナが底をつくベストタイミング計って来たんだから。そんなんより回復にアルカナ回した方がいいんじゃね?」

 バン・ドレイルがせせら笑うが、千尋はさらに腕に力を込めて、

「セルディッド!」

 すると僅かに指先の空間が揺れ、そこに小さな血晶が浮かび上がる。

「ちっ!」

 すかさずバン・ドレイルがそれを蹴り砕き、勢いのまま千尋の顔面を思い切り蹴り抜いた。もろに受けた千尋がもんどりうって倒れ込む。

「根性だしちゃってよ、油断も隙もねぇ――うぉっ!」

 瞬時に傾けた首の横、フードをかすめて針が飛び、背後から肩で息をする優羽莉の強い視線が突き刺さる。

「テメェ……」

 二人の立て続けの抵抗に苛つきが増したか、バン・ドレイルは地面に唾を吐くと、踵を返して一気に優羽莉の懐に飛び込んだ。優羽莉は慌てて身を引こうとしたが一歩遅れて髪を引き掴まれ、そのまま腹に強烈な膝を撃ち込まれてしまう。

「うっ……!」

 呻き、その場で崩れ落ちるも、髪を掴まれ宙で体が止まる。

「ユーリぃ、先にオメェからやっとくか。お父様にはオレからヨロシク言っとくぜ。ま、野郎はあんま興味ねぇかもしんねぇけどな」

「………っ」

 歯噛みをしつつ、バン・ドレイルを睨みつける優羽莉。

「なぁに、その目? もちっと心折っとく? 悪ぃけど、オレ正真正銘血統書付きの悪者だから」

 バン・ドレイルは左手のグリモアを虚空にしまうと、優羽莉の髪を掴んだまま空いた腕を振りかぶる。そして無慈悲な拳が振り下ろされようとした――そのとき、その腕ががくんと後ろに沈んだ。

「あんたさ、さっきから……煩いよ」

 腕には、鼻から血を流し、顔を半分腫らした千尋がしがみ付いていた。

「千尋……君……」

 それを見たバン・ドレイルは盛大にため息を吐くと、

「うるさいですか? はいはい、こーえーでございますよっ、と」

 しがみ付かれた腕の肘で千尋の鼻面を打ち据え、乱暴に振りほどく。次いで思わず手を放し沈んだその体を、さらに思い切り蹴り上げた。体をくの字に曲げて後方に浮かせた千尋は、受け身も取れずに顔から地面に落ちるが、すぐに身を起こして前に踏み出そうとする。しかし足がもつれてうまく立てず、それでも諦めまいと、腕を前に突き出し力を込めた。そんな千尋を、

「頑張るねぇ。もうカスも出ねぇだろ?」

 バン・ドレイルは白い目で見下ろすと、改めて優羽莉の髪を引き掴んで顔を上げさせる。そして彼女の額に左手を当てた。

「じゃあな、ユーリ」

 その手が禍々しい光を帯び、優羽莉がぎゅっと目をつぶる――。

――ゾンッ。

 肉が叩き切られる嫌な音がして、黒い影が飛んだ。

 小さな弧を描いてボトリと落ちたその影は――腕か。

「いってえええええ!」

 肘から先を失くした左腕を抑え、バン・ドレイルがのけ反る。

 何事かと目を開けた優羽莉の瞳には、巨大なナイフが映っていた。

 そのナイフは、銅のような赤茶けた金属の腕のようなものに括りつけられており、辿ると、千尋の方へと伸びている。そしてその根元は、千尋が手をかざす空間に収まっていた。

 千尋の使い魔だろうか――しかしそこに血晶は無く、代わりに、腕の周囲に小さな渦が巻いていた。見るうちに、渦は周囲の空間を巻き込むように大きくなり、中から腕の主を吐き出した。

 やはりそれは長い腕だった。しかしそれを肩口から生やしているのは、ひどくアンバランスなことに、ほっそりとした体にメイド服を着こみ、その上に透き通るような白い肌の整った顔が乗った女だった。

「なかなかドラマティックなタイミングね? そう思わなくて、にび

「さようでございます、お嬢様」

 さらに女の陰から、細やかなレースで装飾された日傘が現れてくるくると回る。日傘を手にしているのは、長い金髪を二つに括り、目元を隠すように仮面をつけた少女だった。

 少女は、倒れながらも手を伸ばし続ける千尋を見下ろすと、

「助けに来て差し上げてよ、千尋」

「……ドゥクス……」

 そう言ってから優羽莉に顔を向けた。するとメイド服の女――鈍が優羽莉に近づき、人の姿を保っている方の手を差し出して助け起こした。

「あなたたちは……」

「初めまして、あなたが〝女教皇ギーメル〟の方ね? 私はドゥクス、千尋の保護者よ。とりあえず、あれは私たちがお相手するわ。あなた方は下がってらっしゃいな――鈍」

「かしこまりました、お嬢様」

 鈍は優羽莉を壁際に座らせると、銅の腕をギギギと軋ませつつ回転させ、先についたナイフの狙いをうずくまるバン・ドレイルに定める。それを見たバン・ドレイルは慌てて転がり起きて距離を取ると、失った左腕を振り回してキーキーと叫んだ。

「テんメえええ! いってぇじゃねぇかよ‼」

「嘘おっしゃい。生き物のフリしないでくださる?」

「うるっせぇな! オレは〝設定〟を大事にすんだよ! つうかなんでテメェがここに居んだ⁉ あ……もしかして〝あっちのオレ〟やられちゃった……?」

 見た目の凄惨さに対し、妙に滑稽に振る舞うバン・ドレイルに、

「さぁ? でも、こっちのあなたはそうなるんじゃないかしら?」

 こちらも負けず、にこりと穏やかな笑みを浮かべるドゥクス。

 バン・ドレイルはぶつぶつ一人文句を言いながら一同に背を向けて、跳ね飛ばされた左腕を拾いに行くと、

「はああああ、あーーったまきたぜぇ……」

 ザッと足音を立てて勢いよく振り向いた。その右手には、いつの間にか再びグリモアが開かれ、強い紫色の光を放っていた。

「消し飛んじゃいなさいっっっ‼」

 バン・ドレイルの声と共に、グリモアから龍道いっぱいに広がる無数の光弾が放たれてドゥクスたちに降り注ぐ。

 爆弾の豪雨の如き炸裂音が鳴り響き、たっぷり数十秒後にやっとそれが収まると、バン・ドレイルは「ん~~」と首を伸ばして立ち込める砂煙の中を覗き込んだ。

 次第に煙が薄らいでいき、薄紅い光に照らされた通路の壁が見えてくる。その隙間から、両の肩に長い銅の腕を生やした鈍が、腕先のナイフと鉤爪より、光弾の粒子をたなびかせて立っているのが見えた。

「お終い?」

 鈍に守られたドゥクスが首を傾けてにこりと笑う。

「お終いじゃございません~! てか、さっきのだって不意を突かれただけだっての!」

 バン・ドレイルはあからさまに顔を歪ませると、今度はグリモアから大量の魔法陣を出現させた。

「〝今のテメェ〟じゃオレにゃ勝てねぇよ――ペルトゥル……バーティオ!」

 呪文に弾き飛ばされるようにグリモアから飛び立った魔法陣は、地面に落ちてドゥクスたちをぐるりと取り囲むと光の柱を立ち昇らせた。

 ガシャンッ――派手な音を立てて、鈍が銅の両手を地面に突いた。

 「うっ……!」

 「ぅあっ!」

 千尋と優羽莉もまた、巨大な何かに覆いかぶされるように、全身を地面に押さえつけられてしまう。ドゥクスは、手に持つ日傘が何かしらの効力でこの攻撃を防いでいるのか、特に苦しそうにはしていないものの、その場からは動けないようだった。

「鈍、立てる?」

 ドゥクスの問いに、鈍が無表情のまま腕を軋ませて身を起こそうとするが、数センチ体を持ちあげたところでガシャンと再び突っ伏してしまう。

「はは! これで次は防げねぇだろ。このままじゃ負けちゃうぜぇ? 〝仮面〟を外せよ、女王様」

 バン・ドレイルが、取れた自身の左腕をぐるぐるとご機嫌に回しながらドゥクスを挑発する。

「おあいにくさま。これは私が導者たる〝『運命の輪カフ』のパトス〟を得る資格だもの。いまさら放り投げられないわ」

「この状況をよ、〝力を抑えたまま〟でどうにかできると思ってんのか? おとなしく〝女王〟の力出しとけよ」

「しつこいわよ」

 追い詰められた状況でも凛と姿勢を崩さないドゥクスに、バン・ドレイルは、

「なら、潰れとけ」

 左腕を放り投げ、脇に抱えたグリモアに力を込めた。

 そのとき、

「仕方ないわね――〝ガングレト〟」

「かしこまりました。お嬢様」

 それは鈍のことなのか、その上半身が風船のように膨れたかと思うと勢いよく弾け、中から赤銅の巨人の姿が露わになった。その姿はまるで、中世のおぞましい拷問具「鋼鉄の処女」のようで――いや、もしやその拷問具こそが彼女を模倣して造られたのではないかと思えてならぬ程に禍々しい気を吐き出して、〝腹の扉〟を開いた。

 思わずバン・ドレイルはグリモアの光を収めて様子を見る。

「テメェ、何仕掛けやがった?」

「さぁ? でも本当、〝連れてきて〟正解だったわ」

 ドゥクスは笑むが、その扉の中には痛々しい針が並ぶばかりの空洞で――いや、中で、チリリと渦のようなものが揺れ消えたか。

 バン・ドレイルは眉をひそめると、ズリリと足を引き、

「へっ、どんな仕掛けがあるか知らねぇがよ、オレぁ臆病だからそういうのにゃ近づかねぇんだ」

 と飛びすさろうとしたが――足が、ビタリと地面に吸い付いたように動かない。

「んあ?」

 見ると、その足元に、無数の〝黒い手〟が絡みついていた。


「――お久しぶり、バン・ドレイル。相変わらず臆病で、いい男がもったいないわ」


 線の細い声に背を撫でられてバン・ドレイルが振り返る――そこには、花をあしらったブーケを被る儚げな少女が、まっ白なそれとは対照的に、まっ黒なウェディンググローブをはめた指をバン・ドレイルの背中に当てていた。

「〝イゾルデ〟……てめぇ」

「ごめんね。でも私、私を捨てた男を許さないの」

「放せよコラ! 〝呪専〟のテメェごときに、オレがやれるとか思ってんのかぁ?」

 バン・ドレイルが凄みつつ体に力を込めるが、ぴくりとも動く様子はない。

「悲しいわ。そんなに私から自由になりたいなんて――ですって、女神様」


「――あっそ。それじゃ、毟りとって自由にしてやるわ」


 さらなる声が加わった。バン・ドレイルはその声に悪寒を感じ、自身の半身を再び見降ろした。すると、いつの間にか大腿部の辺りを無数の刃が取り囲んでいた。

「え……ウソ……」

 パチンと誰かが鳴らした指を合図に、残酷な音を立て、それらが一斉に脚に突き刺さる。

「うっぎゃああああああ!」

 そのまま刃は高速で回転すると、バン・ドレイルの下半身を無惨に千切り飛ばした後、楽し気に宙を舞って一か所に集まった。刃たちが重なり、繋がり、形作ったものは〝骸骨の獅子〟か――それが体を捻じって宙に留まると、ゴロゴロと無い喉から猫科の動物が甘えるような音を出す。そしてその赤いたてがみを、柔らかな手つきで撫でる手があった。

「うっそ、マジかよ……」

 どうして生きていられるのか、体の半分を失ったバン・ドレイルが自身の状態を差し置いて、獅子の上に乗る存在に目を奪われる。

 そこには、濃く赤い髪につけたアザレアの髪飾りに似て、棘々しくも可憐な少女が、顔をしかめ、汚らしいものを見るような目でバン・ドレイルを見下ろしていた。

「うわ、こっち見ないでよ。気持ち悪い」

「〝キュベレー〟……あの〝引きこもり女神〟まで引っ張りこんだのかよ……」

「はぁ⁉ ひ、引きこもってなんかないわよ! 外にあたしの興味を引けるだけのものが無いだけだっての!」

 キュベレーがまくしたてて再び獅子から骨の刃を飛ばすと、それを身に受けたバン・ドレイルが「ぐえっ」と惨めな声を上げる。その情けなく歪んだ顔に、くるくると回る影が落ちた。

 見上げると、日傘をさしたドゥクスが覗き込んでいた。

「どうかしら? どうにもならなかったのはあなたの方だったわね」

「この野郎……オレのバッチバチナイスバディに何してくれちゃってんだよ……」

「あら、〝一体〟くらい、いいじゃない? あなたの体なんて、どうせ虫みたいにいくらでも沸いて出てくるのでしょう?」

「傷つくぜぇ……もっとかっこよく〝一にして全なる体〟とか言ってくれない?」

「口の減らないこと――とにかく〝教皇ヴァヴ〟と〝テット〟、返してもらうわよ」

 ドゥクスは傍に落ちているバン・ドレイルのグリモアを拾ってパラパラとページをめくる。そして「なるほどね」としたり顔をすると、表紙を撫でで魔法陣を浮かび上がらせ、その中から二つの血晶を取り出した。

「テメ……返せよ」

「何を言っているのかしら? 〝預けておく〟って言ったでしょう?」

 すると獅子の上で見下ろしていたキュベレーが、

「ねぇ、ヘ……じゃなくてドゥクス。あんた、それにあんまり近づかない方がいいわよ」

 と言うや否や、

「そういうこった」

 にやりと笑ったバン・ドレイルが、唯一残った右手を突き出して光弾を放った。

 ドゥクスの右肩が跳ね上がり、常に手放さずにいた日傘が落ちる。

 離れた場所で様子を見ていた千尋が思わず上体をあげ、優羽莉がびくりと体を揺らした。

 近距離で放たれた光弾は、避ける間もなくドゥクスの右胸を貫いていた。

 しかし――同じくそれを見ていたキュベレー、イゾルデ共に、軽く嘆息しただけで特に表情に変化はない。二人どころか、ドゥクスすらも――。

「あら、残念。私の半分・・は死んでいるの。反対側なら良かったのにね」

 そう言って、ドゥクスは優雅な仕草で落ちた日傘を拾い、さも楽しそうな様子でくるりと一度回した。

「くっそムカつくぜぇ……」

 バン・ドレイルは諦めたように腕を広げると、首だけ優羽莉の方を向き、

「ユーリ、教えといてやんよ――こいつらはヤバいぜ? オレらは宇宙を喰らうだけだがよ、こいつらはその・・法則・・そのものを――」

 そう言いかけたところで口から音が出なくなった。

 その首が、胴体から離れたのだ。

「余計なことは言わないでよくてよ」

 首を傾けるいつもの笑みを浮かべるドゥクスの後ろで、鈍のナイフが煌いていた。

 思わず目を背けた優羽莉を見つめながら、バン・ドレイルの首が闇に溶けていく――。

「ふぅ、やっと終わったのかしら」

 ドゥクスはそう言って、通路で起き上がろうと体を震わせる千尋と、壁にもたれかかる優羽莉を見た。

 優羽莉は――まだ緊張を解いてはいない。それはそうだろう、結果的に助かったとはいえ、この短い間に、三体もの正体のわからない人外たちに囲まれてしまったのだから。

 その心情を悟ったか、なんとか立ち上がった千尋が、足を引きずり優羽莉の前に立った。

 それを見たイゾルデが

「……ふぅん、羨ましい」

 と小さく呟く。

「……とりあえずは、助かったってこと?」

 千尋がドゥクスに訊ねる。

「もう、千尋ったら、素直に『ありがとう』って言えないの?」

「それは、無事地上に出られたらね」

「あはは、確かにね。弟くん置いてきたんじゃ空間転移もできないし、あんたのメイドは出口専用・・・・だもんね。しばらくここで暮らす? 洞窟暮らしも悪くないわよ?」

 キュベレーが獅子の上に寝転びからからと笑う。しかしドゥクスはにっこり微笑みを返すと、

「ご心配には及びませんわ、キュベレー様。そろそろこの子の呼んだお迎えが来るでしょうから」

 そう天井を見上げた。

 千尋もつられて見上げると、天井の一部がぐらりとゆれ、そこから木の根が伸び降りてきた。

「………?」

 根は徐々に数を増し、ゆっくり、丁寧に天板を押しのけていく。しばらくすると、そこに人一人が通れるほどの穴が開いた。そして、

「千尋! 大丈夫⁉」

 そこから伸びる蔓に掴まり、赤い服を纏った金髪の少女が降り立った。ほっそりとした体形に横に長く伸びた耳は、西洋の物語に登場するエルフを思い起こさせた。

「セルディッド……どうやって……」

「千尋が何度も呼んでるのが〝糸〟から伝わってきたから、必死に辿って……」

 その少女――セルディッドは、自身の「ロード」の無事を確認してよほど安心したのか、小さく目の端に涙を浮かべる。しかし同時に周囲の様子を目にし、すぐにその感慨を吹き飛ばしてしまった。

「これ……どういう状況……⁉」

 千尋の傍に立つドゥクスと鈍、これはいい。しかし千尋の後ろには敵対しているはずの白木優羽莉が立っており、ドゥクスの傍にはかつての戦場で幾度かまみえた太古の大地母神と、亡霊の少女が佇んでいるのだ。そして極めつけは床に転がる右腕しかついていない無惨な男の体――。

「よく来てくれたわね、セルディッド」

「……ドゥクス、とりあえず説明してくれる?」

「心配しないで、あとでゆっくり話すわ」

 そうドゥクスはセルディッドに微笑みかけると、

「とにかくこれで地上に戻る当ても出来たわけだし――」

 ゆっくりと日傘を回しながら優羽莉の前に立った。そして、

「それじゃ、あなたの《器》を回収させてもらおうかしら」

 そう言った。

 優羽莉が体を強張らせて壁に背を付け、千尋が振り向いてドゥクスに手を伸ばす。

「それって――」

「それってどういうことよ?」

 そこに、セルディッドが口を挟んだ。

「あら。どうしたの、セルディッド。何かおかしいかしら? 初めから・・・・そう決まっていたと思うけど」

「そうだけど……でもあなたは『ドゥクス』になった。〝導者〟は直接手を下さないはずよ」

「それは時と場合によるわ。それに――やってみなければわからない」

 二人が睨み合い、

「ちょっと、ここ揉めるとこなの? あたしそろそろ帰りたいんだけど」

 キュベレーが獅子の上から他人事のような文句を垂れる。そうしてにわかに空気が濃い緊張を含み始めたところで、

「――ねぇ」

 千尋が、いつもより少し大きく声を張り割って入った。

「あんたさ、僕たちが生き延びる方法を教えてくれるんじゃなかったの?」

「そうよ、教えるわ。けれどそれは〝全員〟じゃなくてもいいの。それに、《器》はこちらにこそ必要なのよね」

 そう答えるドゥクスに、今度は優羽莉が訊ねる。

「あなたは、この世界の敵なの?」

「さぁ?」

 ドゥクスが仮面の下で笑う。

「けれど、少なくとも人間だけの味方ではないわね。あなたたちはとても可愛いけれど、所詮は世界の一部でしかないのだもの。さ、もういいでしょ? 千尋、言った通りあなたはちゃんと守ってあげてよ? こちらにいらっしゃい」

 そう、千尋に小さな手を差し出した。しかし、

「助けてくれたのはありがたかったけどさ――それだけじゃ、あんたと一緒に居る理由にはならないな」

 そう言って千尋はその手から距離を取った。そして優羽莉を見ると、

「ユウちゃん、行きなよ」

「……どうして?」

「さっき、あの男から助けてくれたろ? 僕を殺さないのなら、僕もそうするよ」

「千尋君……」

「はぁ、本当に人間って面倒ね……鈍」

 ドゥクスが指示をすると、いびつに上半身のみ巨人になって仰向けに倒れたままでいた鈍が、今度は下半身を震わせて完全な変形を遂げる。そしてそのまま〝仰向けの四つん這い〟になると、ガシャガシャと方向転換して優羽莉の方へと頭を向けた。

 その異様に、より一層体を固くした優羽莉は壁伝いに後ずさろうとしたが――その足が、何かに掴まれた。

「あら」

「うわ、気持ち悪い……」

 ドゥクスとキュベレーが声を漏らす。

 見ると、なんということか、すでに塊でしかないはずのバン・ドレイルの体が、右腕だけで這いずってきたのか、いつの間にか優羽莉の傍に寄り、その足首を掴んでいるではないか。

 優羽莉はびくりと体を震わせるも、バン・ドレイルの手はすぐに足首を放し、右手をちょいちょいと動かして優羽莉を手招く。そして自らの体に手のひらを当てて魔法陣を描くと――ボンッ――と体を破裂させ、その跡に、宙に浮かぶ大きな黒い円を作り出した。

 その円の意味を悟った優羽莉が小さく拳を握り千尋を見る。千尋もまた優羽莉を見てうなずくと、優羽莉はすぐさま駆け出して円の中に飛び込んだ。

 そうして一同の見守る中あっという間に優羽莉を飲み込んだ黒い円は、きゅうと小さく縮まると、音を立てることもなく虚空に消えてしまった。

「残念、逃げられてしまったわね」

 イゾルデが何か思うところを含むようにドゥクスに微笑みかける。ドゥクスはそれを同じく笑みで受けると、

「千尋ったら、優しいところもあるのね。それで――あなたはどうする?」

 と訊ねた。千尋は少しだけ考える風にしたあと、

「とりあえず、あんたと一緒には居られなそうだ」

 と答えた。

「そう、残念だわ」

 ドゥクスはそう言うと、

「それじゃ、これを持ってお行きなさいな」

 二つの《器》を手のひらに乗せた。それは自然に浮かび上がると、ゆっくり宙を移動して千尋の手に収まった。

「……なんでさ」

「あなたは、生き残るんでしょ? なら、それは持っていた方がいいわ」

「これはあんたが必要なんだろう?」

「ふふ、私にとっては同じことだもの」

「よく、わからないな」

「いいのよ、それで――」

 ドゥクスは背を向けると、愛用の日傘をくるくると回しながら、

「なぜいいのか、考え続けなさいな、千尋」

 そう言った。

 その言葉に何かを感じたか、千尋は黙って《器》を上着のポケットにしまうと、蔦を掴んで穴を上り始めた。

 セルディッドはそれを見上げつつも、いったいどうすればいいのか戸惑いを隠せずにいたが、

「セルディッド、彼をよろしくね」

 とドゥクスに促されると、

「……今度、ちゃんと説明してよね」

 そう言って千尋の後を付いて行く。

 ドゥクスはそんな二人が昇っていく様を、傘を回しながら見上げる。するとそのそばにキュベレーが降り立ち、

「いいの? アレあげちゃって」

「大丈夫よ。そう『運命の樹アルカナセフィーロ』が告げているもの」

「ふぅん。あたしは〝あいつら〟が助かればなんでもいいけど――」

 共に天井の穴を見上げながら、

「あんた、意地悪ね」

 そう言った。

「そう? でもこれくらい許されてよ? この先の、私の苦労を思えばね。強制するのは簡単だけど、紅茶は飲んだ後の香りこそが良い思い出になるのだもの」

 ドゥクスはキュベレーに微笑みかけると、もう一度穴を見上げ、

「――千尋、あなたの手にしたそれは〝選択〟よ。あなたの正義を探しなさい。あなたには、そうする権利があるのだから」

 そう呟き、静かに傘を閉じた。